興禅寺の見どころ

興禅寺の見どころ

惣門(そうもん)

寺域のいちばん南、公道に面して建っている古びた門は、寛永三年、興禅寺となってこの地に移ったとき、黒井城の門材を使って建てたものといわれており、戦国の城黒井城をしのぶ唯一の建物です。
落城後、四百年の風雪の重みが感じられます。

七間堀と高石垣
(しちけんぼりとたかいしがき)

門前の石橋をはさんで、東西にのびる長さ約八十メートルの水濠を、古くから「七間堀」と呼んでいます。
その内側に、高さ約四、五メートルの高石垣がつらなりますが、中央部石橋付近の積み方は「野づら積み」といわれる、自然石をそのまま使った古式な石積みで、黒井城跡の石垣と同じ工法です。その他の部分は、石の表面を平カく加工して組み合わせた「切込みハギ」といわれる積み方で、後世の改修によるものと考えられます。
満々と水をたたえた水濠と高石垣、白のねり塀をめぐらせた景観は、興禅寺の象徴であり、かつての黒井城下館の姿を彷彿とさせます。

楼門(山門)
(ろうもん・さんもん)

近年、法縁のある京都府宮津市の智源寺から移築されたもので、柱間が三つで中央が出入口になっている三間一戸の二階建ての楼門です。両脇に二天を祀り、二階には高欄をつけた回り縁をめぐらしています。
階上室内には観音像を安置し、天井には竜がえがかれている、典型的な禅宗の山門形式をとっています。

鐘楼(しょうろう)

黒井城落城のあと、直正の子直義は赤井悪右衛門直義を名のり、伊賀上野藤堂家に仕えましたが、寛永年間、先祖供養のためにこの鐘楼を建て、梵鐘を寄進しました。現在の鐘楼は、大正二年に改築されたものですが、二階建ての異風な形は創築当時の形をそのまま忠実に再現したものです。

庭園

本堂西の客殿前にある庭園は、近衛信尹がこの地に流寓したとき、みずから指導、設計して造らせた庭園です。
四百年を経て一部手を加えられましたが、優雅な林泉の佇まいは、往時をしのばすものがあります。

本堂の紋瓦

城主だった荻野直正の紋所は「下り藤」「左三つ巴」「丸の内雁金」ですが、興禅寺本堂の大屋根には、「下り藤」の紋瓦がたかだかと上がっていて、直正開発説を裏づけています。この「左三つ巴」の紋瓦は鐘楼、その他所々にみられます。

近衛家もこの「下り藤」の家紋となっており、また、兵主神社のお社紋も、同じく「下り藤」「左三つ巴」であり、三者の深い関係がよくわかり、この興禅寺は、ながい秘められた歴史の数々を随所に残しています。

お福ゆかりの史蹟

お福の腰かけ石

本堂の左前にある平たい大石で、よちよち歩きのお福(のちの春日局)が、腰をかけて遊んだ石といい伝えられています。

「斎藤屋敷のお福さま」と呼ばれた幼い頃のお福、春日局の幻影が浮んできます。

お福産湯(うぶゆ)の井戸

指月殿(経蔵)の裏手にあり、深さ、約一・七メートルで清冽な水をたたえています。

お福が生まれたとき、この井戸の水を汲んで初湯に使ったと伝えられています。

春日局 出生碑

七間堀に面して、楼門前に建っており、お福の来歴が刻んであります。