興禅寺 縁起
興禅寺のはじめ
大梅山興禅寺は、兵庫県氷上郡春日町黒井にある曹洞宗の寺院で、黒井の町なみの北方高台にあります。 JR福知山線黒井駅から歩いて約五分、高速舞鶴自動車道の春日インターから約五分の位置にあり、みどりに囲まれた傑出した環境のなかに建っています。
古びた惣門(そうもん)をくぐり参道を登りつめると朱塗の楼門があります。この楼門の上からの眺めは、かつての戦国城下町であった黒井の町なみを眼下に見おろし、春日町の中央部を視野おさめることができます。
山号を大梅山といい、かつては多くの末寺をもった曹洞宗の別格地で、山号の大梅山は境内あった梅の大樹にちなんだものと伝えられています。
この興禅寺の前身は寺号を杖林山誓願寺(じょうりんざんせいがんじ)といい、現在の位置から約一五〇メートル下った小山町下通にありました。

明治初年に出された「寺籍詳細御届」という本によると、誓願寺はその昔、法道仙人が開いた真言宗の寺で、七堂伽藍(しちどうがらん)がととのい、本尊は釈迦如来、脇立に右が迦葉尊者(かしょうそんじゃ)、左は阿難尊者(あなんそんじゃ)でともに仏師春日の作とされています。
弘治三年(一五五七)、丹波守護代で八木城主内藤宗勝が黒井城を攻めた時の兵火にあい、そのすべてが焼失しました。
本尊も脇立もこの火難にあいましたが、時の住僧密浄はこの三仏をかかえて避難し、近くに小庵を建てて法灯を守ったと伝えられています。
今でも、かつて誓願寺のあった所には「寺屋敷」の地名が残り、この付近には九つの寺が建ちならんで、黒井城下町のなかで、寺町を形成していました。

現在の興禅寺
戦火によって焼失した誓願寺の再興に力を尽したのは、天文二十三年(一五五四)若くして黒井城主となった荻野(赤井ともいう)悪右衛門直正です。 直正は、あらたに堂宇を建立するとともに、本尊仏などを祠り、寺運の復興につとめました。
この誓願寺が興禅寺と名を改め、現在の地に移ったのは黒井城落城後、約五十年たった江戸時代のはじめ、寛永三年(一六二六)のことです。
時の住僧寂道応勲(じゃくどうおうくん)和尚は、かつて黒井城の下館であった現在地に、本堂をはじめ諸堂を建てるとともに、山号を大梅山、宗派を真言宗から曹洞宗に、寺号を興禅寺に改め、四来の雲水を接得して大いに禅風をおこしました。
つづいて、明暦四年(一六五八)には中本山円通寺の二十一世関翁玄機(かんおうげんき)和尚を勧請開山としました。 よって現在の興禅寺は、開基を黒井城主荻野悪右衛門直正、開山に関翁禅師としています。
以来、法灯栄えて現住職で十八世を数えるに至ります。うしろに猪ノ口山のみどりを負い、前には七間堀と呼ばれる水濠をめぐらし、高石垣、白のねり塀のたたずまいは、かつての黒井城の下館(しもやかた)の風情をよく残しています。
四季おりおりに変化する庭園や、黒井城に関係ふかい赤井氏、関白近衛家、春日局など、ここでくりひろげられた歴史の名残りに触れることができる場所です。


